最前線でソ連軍と対峙していたその時、終戦の知らせが入ったようです。父の所属していた連隊には500名位の兵隊が所属していました。連隊長はソ連に降伏すれば、シベリア行きは免れないと判断し、逃避する道を選んだとのこと。 それからハルピンから大連ま…
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