私と満州2

私の父(故人)が満州の大連に教諭として赴任したのは、父の兄が当時の関東軍の兵隊として出征していた関係と聞いています。
私が中学生の頃だったでしょうか、その当時、仲代達矢主演映画「人間の条件」が上映されていました。父は家族をその映画に連れて行き「この主人公の経験したことは、自分も同じ様な経験をした」と家族に話し、感動しておりました。その後、父にその体験したことを詳しく聞きなおしました。
父が大連に教諭として赴任したのは、20代の後半の頃でした。下宿屋に寝起きし、学校に通ったとのことでした。その下宿屋の娘が母(故人)です。
父の学校では、日本人のみならず中国人も学んでいたようです。分け隔てなく教育したと聞いています。保健体育の教師だったので、陸上の指導もしたようですが、陸上の経験のない中国人に100mを走らせた時、当時のオリンピック記録に近い記録を出す学生がいたようです。中国人がオリンピックに出場したら、大量のメダルを取ると、その時に感じたようでした。
昭和20年3月頃(1945年3月頃)突然、現地召集がかかり、教員も動員され入隊したようです。昭和20年8月9日のソ連軍侵攻にともない防衛線まで行進したようですが、その時には銃の割り当ても10人に1丁位で不足していた為、歩哨に立つ時には、木で型取った銃身に銃剣を付けたものを担いでの偽装したようです。これでは、戦になりません。
最前線に陣取り、ソ連軍の侵攻を待ち受けていると、轟音と共に戦車が数千台見えたそうです。